『人間不平等起源論』(ルソー)

ブリーフィング

 

 まずルソーは本書『人間不平等起源論』をジュネーブへの献辞をもって始める。この献辞は一見、形式上ジュネーブ政府・国民を誉め称えているように見えるが、これは本書や『社会契約論』で展開されるルソーの理論上でなされた当時の両者が孕む問題の痛烈な批判であった。

 ルソーは本書の目的を人間が抱える2種類の不平等、すなわち自然的不平等(=自然が定めた健康状態や体力、精神の質などの差)と社会的不平等(=現状の貧富の格差など)が生じた理由、その起源を明らかにすることだと明示する。それは言葉を変えて「暴力の代わりに権利が登場し、自然が法に服するようになった瞬間」、あるいはなぜ「強者が弱者に奉仕することを決意できたのか」を解明するためであると述べられる。

 まずルソーの目的は自然が生み出す人間(=自然状態にある人間)と社会が生み出す人間の境界である故に、人間の起源から考察を始めなくてはならないとする。その考察にあたり、ルソーは解剖学的知識でも、超自然的(聖書上の)知識でもなく、現実の人間から「紙からうけとることができたすべての超自然的な賜物と、長い期間をかけて進歩することで獲得できたすべての人為的能力」を除くという想像的技法を用いたことがここで明示される。そこで原初の人間を固有の本能が欠け、欠けているが故に全ての動物の本能を自らのものとして獲得できる存在であると規定する。具体的に、自然人は「特に言葉を話さず、家を持たず、互いに闘うこともなく、他人と交際することもなく、同胞を必要としないし、同胞に危害を加えようと臨まない。おそらく同胞の誰一人として見分けることもできない。こうした野生人は情念の虜になることもほとんどなく、自分だけで満ち足りており、こうした状態にふさわしい感情と知識しかもっていない。」。以上のような自然人の性質の中で、重要な概念は二つある。それは「自己保存」と「憐れみの情(ピティエ)」(=「自己の同胞が苦しんでいるのを目にすることに、生まれつきの嫌悪を感じる」)である。ホップズは自然人が持っている「自己保存」の側面のみを捉えていたため、「万人の万人による闘争」を生むとしたが、ルソーは自然人の中において「自己保存」と同時に「憐れみの情」が「ぼんやりとであるが強く働く」ために、自然人は相手のものを奪うというよりも自分のものを守ることを主な行動とするのである。そして自然人は必要以上の理性を持たないため、誰一人としてこの感情の優しい声に逆らおうとする人がいないということである。故に自然人はあくまで孤独なのだ。つまりホップズの想定する「万民の万民による闘争」の背景にある利己愛は理性の力によって生み出されたもの、社会化された人間の一側面を描いたに過ぎないとする。

次に第二部として、自然状態にあった人間がどのように、なぜ変容し、社会を構築し、不平等を積み重ねていったかを論じている。人間は人口増加に伴って、散り散りになって、様々な環境変化を味わった。その都度、人間は生活様式の変更を迫られ、火の起こし方などの知識を取得していった。そして知識が蓄積される中で、人間はあらゆる動物に対して自分が優位にたっていることに気がつく。そこに自尊心の萌芽が見られるのである。また人間は他の人間を観察することができた。その中で人間は自分の利益と安全のために従うべき最善の規則を見いだす。人間は「自分の安楽への願いが人間が行動する唯一の動機であることを見いだし、他人に援助を期待できる状況と競争状態を区別」できるようになった。そうして人間は知らず知らずの内に相互の約束とこうした約束を守ることの利点についての“曖昧な”考え方を身につけていったのである。そして狩りなどのための原初的な仲間付き合いにおいては分節化されない叫び声、身振りが普遍的な言語を構成していた。その後、進歩するについて彼らは家族を形成し、定住し始める。定住は利便性や効率性から、次第に集まって行われ、その地域の人間は同じ生き方と食べ物のために、習慣や特性が同じになっていった。また、人間は様々な事物を眺めて、それらを比べることに慣れ始め、知らぬうちに“美しさ”と“価値”という観念が生まれるようになり、これが好き嫌いの感情を芽生えさせるのである。いまや群れをなした人間はやがて、誰もが他人を眺め、誰もが他人に眺められたいと思うようになる。こうして尊敬と軽蔑、妬みや羨望、恥辱の概念が形成されていった。この尊敬の中に人間の不平等の萌芽はあったのである。この人間の発達時期は原初的な鈍感の状態と狂おしい利己愛が働く状態のちょうど中間にあり、最も幸福で、もっとも永続的ないわば「世界のまさに青年期」であったといえる。しかし、我々はその幸福な状態にとどまることは出来なかった。農業や鉄の利用はその理由の一端である。農業により、土地の耕作が始まると、土地の分配が避けられず、労働を加えた人は土地を“私有財産”とすることができるようになった。そして私有財産としての土地が拡張していくと、いずれ他人の土地を侵害せずに自分の土地を拡張できなくなる。ここにおいて、最初に運や怠惰によって土地を手に入れられなかった人々は土地という財産を富めるものから貰うか、奪うかしかなくなり、そこに支配と隷属、暴力と略奪が生まれたのである。こうして生まれた略奪は富めるものを常に戦争状態に誘った。しばらく争った後、彼らは永続的な戦争状態が自分にとっていかに不利なものであるか痛感した。そう感じた富める者たちは“自らの利害を守るために”、演説により戦争がいかに人間集団一般に対して悪い存在であるかを問い、団結を訴えた。こうして一部の野心家の利益のために人類全体を労働と隷属と貧困に服させる社会と法が構築されたのである。こうして構築された社会においては人民が自ら選んだ首長と契約を締結する(=社会契約)。契約を締結した当事者は法の遵守が義務づけられ、首長はすべての人民が自らの所有物を安心して享受できるように配慮すること、いかなる場合にも自分の利益よりも公共の利益を優先することを義務づけられる。またここで“契約”という概念の性質上、これらは撤回可能なものであることが強調された。しかしやがて選挙により選ばれていたはずの首長は自分の地位を子孫に世襲させたいと考えるようになり、人民も平穏な生活の中で従順に慣れていたが故に、それを容認した。そして首長は国家を自分の所有物の一つと見なすようになっていったのである。官僚も世襲化され、政治的地位の差が市民間の差異を生み、さらに不平等が深まった。こうして社会のあらゆる場所で対立が起き、首長はそのような状況を利用して、腐敗の限りを尽くすのである。これが不平等の行き着くところ、究極の場所である。“円環”は閉じられ、すべての人が再び平等になる。誰も何も所有せず、臣下は主人の意思の他にいかなる法も持たず、主人は自分の情念の他にいかなる規則ももたない。ここに残されたのは最強者の法のみであり、これは新たな自然状態である。これが現在の不平等を生み出した社会構造であり、我々は自然状態に戻ることはもはやできないのである。

 

感想、考察

 

 本授業を受講する中で、“社会契約説”に関して最も強い興味を覚えた。であるから、過去『孤独な散歩者の夢想』を読んだことで多少親近感があったルソーの代表的著作である『社会契約論』を読む予定であった。しかし授業において、インノケンティウス3世の悲惨な人間論を聞くに及んで、社会契約説の議論も含めた社会思想や哲学という学問の根幹にあるのは、各人がそれまでの人生の特殊な環境下で培われてきた様々な“人間観”ではないかと考えた。今まで経済学部生として勉強してきており、思想に関しては全くの無知である私は思想は常に論理的に構成されているものであるという偏見があったため、この考えは非常に新鮮であった。そこで『社会契約論』の背景にある彼の人間観が描かれた『人間不平等起源論』を中心にして読む次第になった。しかし、主題としては社会はどのように構成されているのか、あるいは社会の構成員としての我々が持つべき義務に関してなど、『社会契約論』の中に大きく関わる部分も多いため、適宜参考にしていければと考えている。では以下、本題に移る。

 

<ルソーの人間観・文化・文明観>

 ルソー(1712-1778)はスイス、ジュネーブの時計職人の息子として生まれた。彼は本書『人間不平等起源論』を著す前に様々な困難に遭遇している。母親は産後に死亡し、その後徒弟に出されたが、仕事が気に入らず逃亡。様々な地を放浪したあげく、ヴェネツィア駐在のモンテギュ氏の秘書になったが、 喧嘩別れ。そして37歳の時、ヴァンセンヌに幽閉されていたディドロに会いにいく途中で啓示体験を受け、その5年後の間に様々な作品を仕上げた。本書『人間不平等起源論』はその際の著作である。ルソー晩年の作品、『孤独な散歩者の夢想』の中で彼はこのように書いている。「人間でなくならないかぎり、かれらはわたしの愛情からのがれることはできなかったのだ。」晩年の彼の姿勢を40歳前後のルソーに当てはめるのは必ずしも正しくない可能性もあるが、それでもなお、私にはこの姿勢が既に『人間不平等起源論』の時期から、いやむしろ彼が根本的に感じていた、“人間への絶対的な愛”、しかし母の不在や家族からの逃亡、様々な喧嘩別れの中で味わった、親しい人間の“裏切り”の中で育まれた人間一般に対する“絶望感”。それがルソーを決定的に特徴づけているように思える。『人間不平等起源論』内でのルソーの人間観は、自然人が生来持っていたとする「憐れみの愛(ピティエ)」にあると考える。人間を汚く、どうしようもないものだと思っているのなら、「憐れみの愛」など構想しなかったであろう。ホッブズの「万人の万人による闘争」の背景にはただ「自己保存」だけがあった。これは私の感覚にもひどく合致している。人間は生物である以上、生存をその第一目標としており、それは家族と触れ合うなどの中で“育まれた”ものであると考えることもできる。しかし、ルソーはそれを本質として備わったものだと見なした。そして文化・文明全体を、悪徳を形成した諸悪源であると見なすのである。この文明に対する態度は産業革命(18世紀半ば〜19世紀)前にはひどく異端な、珍しいものに思える。

 私はルソーの人間観には賛同を示したい一方で、文化・文明論には一定の違和感を覚える。そもそも私が文化と文明をどう考えているか。“人間に役立つものとしての文明”と“人間の信用の中で生まれる文化”と捉えている。文明は明らかに目に見えるが、文化は目に見えない。つまるところ、文化とは自己理解だと私は考えている。それはきっと身体的な、物理的自己ではなく、社会として、まとまりとしての自己理解である。その意味では絵画、音楽、文化は一種の自己”表現”である。人はあらゆる方法、メディアを使って自分を表現する。だから、おそらく文化は”進化”しない。”深化”するものなのだ。文明は進化し、たとえそれが人間を自然人から遠ざけていったとしても、文化による自己理解で常に“人間らしさ=自然人らしさ”を失わない。それが文化と文明の補完的な関係性なのではないかと考えるからである。また開発経済学を専攻する身として、文明は明らかに人それ自体を助けてきた点を強調しておかずにはいられない。自然人には病気はなく、仮に文明がそれを生み出したとしても、文明はそれをさらに乗り越えるだろう。乗り越えることでさらなる問題が起こるかもしれないが、それすら人間は乗り越える。そのプロセスを私自身はポジティブに捉えたいと思う訳である。

 

<人間の不平等と社会システム>

 『人間不平等起源論』の中での主張は、人間の不平等は本来的なものではなく、社会が生み出したものであるということである。この議論は私にとっては納得たるものであった。しかし、例えばアメリカではそう思われてはいない。ロールズの議論では第一原理として平等な自由の原理、第二原理として格差原理と機会均等原理が挙げられているが、特にアメリカでは(そして日本でもほぼ同様に)機会均等原理の浸透を国民が広く信じている。そこでは不平等に苛まれる人たちは、教育や住居、飲食等において均等な機会を与えられながら、それを有効活用できなかった、あるいは努力できなかった“負けた人”というレッテルを張られるのである。しかし、ルソーはその機会均等という概念そのものを否定的に捉えている。つまり機会均等は前提として、その後の格差を是認していると捉えるのである。ルソーは本書の中で文明の進化が示す先に関して、“円環は閉じられ”と表現している。つまり自然状態から進みだしたが最後文明の進歩は加速度的に進み続け、社会が構築され、腐敗し、平等に戻る。そして、そこからは再度クーデターにより、社会が再構築され、さらに腐敗し、という循環を辿り続けるという社会観がそこにはある。すなわち社会の孕む根本的な不平等は全く改善されず、全ての権利が剥奪され、一人の人間に集中するというネガティブな意味で平等になるだけなのである。現代から見るとき、これに関しては一定の疑問を抱かざるを得ない。そもそも“不平等”であるとは、どういう面での不平等か。具体的には政治的、経済的、家庭的、人間関係的、(身体、精神込みの)能力的、外見的など様々ある。そしてこれらの不平等は彼の生きていた18世紀よりも改善されているように思える。私はルソーの言っていたことが間違っている、と言う安い結論に持ち込みたいわけではないし、そもそも本書は未来予測の本ではない。

 ルソーの理論を21世紀に当てはめるのであれば、二つの考え方がある。まず第一に知らぬ間に権力が一部に集まっており、かりそめの平等(ルソーのいうところの“新たな自然状態”)にいる可能性である。そして次に、ルソーの理論はルソー以前の社会に対しては当てはまっていた、整合性を持っていたが、現代社会はその円環からの抜け道を見つけ、真の平等への道を歩み続けたと考えるかどちらかである。私は後者であると信じている。なぜそう考えるか。私は本書を読んでいる中で、ルソーがある思考の“制約”の中で、議論展開をしているように考えるからである。その制約は“ヨーロッパ”という制約である。彼は人生を通して、様々な国を来訪したが、もれなくヨーロッパ内の国であった。ヨーロッパは一種の同質性を持ち、いずれもある程度同じ速度で成長・進化していった。しかし、ヨーロッパという閉じられた地域ではなく、世界を眺めるとき、私達はルソーのいう“円環”の様々な段階にいる諸国家を眺められるようになった。ヨーロッパは発展途上国で起きる様々な紛争から、自分たちがかつて起こした戦渦の恐ろしさを再度見返すことができる。発展途上国も発展を既に遂げている先進国の失敗を見ることができる。我々が世界的な視点に立つとき、我々はそこから学ぶことができるようになった。その結果、私達は恐ろしい円環の存在に気づき、学び、そこから抜け出るすべを模索しだしたのではないだろうか。イスラーム国のニュースが流れるたび、我々は強い反発を覚え、自分の世界を見返す。グローバリゼーションが一部として、円環の再構築に歯止めをかけていると私は考えた。

 

<社会契約とは何か>

 結局“社会契約”とはどのようなもので、なぜそのような社会思想が求められたのか。考えたところ、見方は4つあると思う。第一に国家権力の“正当性”を擁護するものとしての見方である。実にホッブズの思想は国家への反駁可能性の否定という点で特徴付けられるが故に、その側面が強かった。しかし少なくともルソーのように反駁可能性を認めていたとしても、現国家とは契約を結んでおり、人々の自由を犯さない限りにおいて、一定の正当性を持つと捉えることも可能である。第二にあらゆる国家体制内で守られるべきルールを体系化したもの、という見方もあると考える。このルールは大衆に向けたものだけではなく、統治者が政治を行う上で侵してはいけない領域を示すものとして存在する。第3に人間が社会を生み出したその根本原因を考える思想とも捉えられる。先述のルソーの人間観のように、自然法下の人間とはいったいどのような存在であって、人間はなぜ群れを作り、言語を作り、社会を作り、法を作ったのか、その起源を問うということである。そして最後に各抽象概念としての正義や自由、平等間のプライオリティを見極めるためのものである。社会がどのように形成されてきたかを考察することで、その“契約”の中に盛り込まれた“条項の順番”を知ることが出来るのではないか、ということである。この辺りはルソー、カント、ロールズの間にある結節点なのではないかと考えた。

 ではルソーの『社会契約論』の主題はなんだったのか。ルソーは『社会契約論』の第一編において以下にように記載している、「私は、人間をあるがままの姿でとらえ、法律をありうる姿でとらえた場合、社会秩序のなかに、正統で各日な統治上のなんらかの規則があるのかどうかを研究したいと思う」。つまりルソーは私でいうところの第2の見方で書いたと考えて良さそうである。しかし、ルソーや彼と交流のあった啓蒙思想家としてのディドロはなぜ社会のルールなどを考え始めたのであろうか。少なくともルソーは1728年、16歳の頃に地元ジュネーブのカルヴァン派のキリスト教からカトリックに改宗している。彼らの行為はカトリックの教えに反抗するものではないか。(実際、社会契約論は禁書扱いにされている)そこには18世紀の世相があると考える。ヨーロッパは永らく絶対王政を正統化するボシュエの“王権神授説”が唱えられてきた。他方、『戦争と平和の法』などで有名なグロティウスによる人間が生まれながらにして持っている権利を保証する法としての自然法は王権神授説に対する思想として存在してきた。17世紀の絶対王制下のヨーロッパ各国は人民に対して、大きな制約と不平等を強いてきた。例えばフランスでは“ナントの王令”が破棄され、プロテスタントを迫害する姿勢を示した。しかし18世紀に入り、ルイ14世も1715年に亡くなり、ここからフランス含め、各ヨーロッパ王制は次第に弱体化を辿ることになる。すると交易が発展する中で力を得たブルジョワジーが官職売買により、政治に介入してくる。そこで権力や地位よりも、金が力を持つなど、様々それまで当たり前であったものが否定されてくるのである。そこにおいて啓蒙思想家や社会契約説のロックやルソーは国家の起源、ルールを問い直し、現国家体制が抱える矛盾を問いつめるようになったと考えて良いだろう。

 ここでルソーの社会契約説を現代の文脈で読み返すのであれば、どうなるだろうか。私は第4の意味、すなわち諸概念のプライオリティを計る上でルソーの考え、社会の起源論は深い価値を帯びるだろうと考えている。本レポート執筆時、イスラーム国への人質問題が世間をにぎわしている。またサウジアラビアでの反イスラーム的なウェブサイト作成者への非人道的なむち打ちの刑執行、またそれに対するアメリカの自由論の押しつけと度重なる統治失敗の中で、世界の一部は“価値の相対化”というマジックワードに踊らされているように思う。今まで虐げられてきた価値を表に出せる“表現の自由”は歓迎される一方で、何をしても良い訳ではない。イスラーム国の非人道的行為は“イスラームの諸原理に従うから”といって(実際にはイスラームには西洋的な民主主義がなじむ素養はあると私は考えるのだが)許容されるものではないと考えるのである。ここにおいて、世界中どこでも普遍的な社会形成の思想、そこから導きだされる普遍的な価値観のプライオリティ、自然権は再度見直されるに足るものであると考えるのである。

<現代における一般意思の可能性>

 ルソーの“社会契約論”を特徴付けるのは、一般意志と特殊意志の概念導入につきるように思われる。ルソーは一般意思に関して以下のように述べている。「意志は一般的であるか、そうでないか、すなわち、それは人民全体の意志であるか、人民の一部の意志にすぎないかのどちらかだからである。前者の場合には、表明された意志は主権の行為であり、法律となる。後者の場合には、それは特殊意志か、行政機関の行為にすぎず、せいぜい命令であるにすぎない。」また一般意志は特殊意志の集合ではないとされる。ルソーの社会契約の概念において、ある国家の中にいる人は3つの存在である。法を作成し、政治に参加する“市民”、自分が作成した法の従う身としての“臣民”、そして政治参加者としての市民の集合体としての“人民”である。ここで一般性はどのように発揮されるか。それはつまり(特殊的意志を持った)臣民と(一般意志の視点に立つ)市民の契約こそがルソーの中の“一般意志”と言えるだろう。

 ここにルソーの一般意志の難しさが潜んでいる。つまり特殊意志を持つ、あるいは特殊意志に縛られざるを得ない我々は「いかにして一般性の視点に立ちうるか」。人間の市民化の条件、方法に関してはルソーの著作内で記述はない。ルソーは『社会契約論』の中で、小国が民主制に向くとするが、いずれにせよ政府権力に何かしらの制限をしない限り、特殊意志からの脱却は難しいのではないか。例えば、現代日本の選挙制度においては候補人は各地域を代表して選ばれた存在であり、彼らは正確には“市民”ではない。また話をグローバルに拡張するのであれば、ある国の国民一般に最適な選択が地球温暖化などの問題で、グローバル市民としては最適でないことは十分考えられる。私達はすでに“日本国民”であるだけではない。中華圏民であり、アジア圏民であり、グローバル人民なのである。この複数視点に立つからこそ、私達は“市民”としてルソーの時代よりも難しい立場に立たされているのである。このグローバルな決定のを下す国際連合は果たして、一般意志を体現した全人類的な意思決定を下せているだろうか。安全保障理事会の存在などを考えると明らかにそうではない。このような現状があるとはいえ、ルソーの議論が古い、あるいは間違っている訳ではない。むしろ我々が今後、選挙での意思決定や様々な普段の行動において、自分はどの視点から意思決定すべきかを考えるべきであるのだ。そのような観点から述べるのであれば、具体的に日本国民が政治に対して意志表明できる場が国会議員の決定だけであるのは物足りない。アジア人としてはどう考えるか、世界民としてはどう考えるかが問われない、あるいは一つの立場から意思決定せざるを得ない状況に押し込まれているのである。この文脈でいうと、昨今のSNSの登場は政治的意思決定を難しくする一方で、新たに政治に参画する方法を提供した点において評価されるべきなのかもしれない。

 

<まとめ>

 今まで「ルソーの人間観・文明観」、「人間の不平等と社会システム」、「社会契約とは何か」、「現代における一般意思の可能性」の四テーマについて、稚拙ながら考察をしてきた。自分の考察を全て再読した後に気づくのは、私が至る所で現代社会への応用を試みている点である。300年近く前の天才が著した古典はあらゆる組織、時代、空間を横断し得ることが実感できた。経済学部生として近代経済学を勉強していると、様々なスキルが身に付くことを感じるが、これらの古典から感じるのは人間としてのマインド、生き方の変化であった。本授業を通して、古典の重要性を確認できたことは非常に意味があったと感じている。

 また今回、ルソーの原著を読んだが、未だルソーの衝撃的な思想の深さを私はほとんど理解していないとも感じている。またルソーの論述が正しいか、正しくなかったは結論がでない議題であろう。しかし私が最も共感を覚え、心打たれたのはルソーの著作全体に広がる、政治的不平等への、人間社会一般への弛まぬ情熱である。情熱がなければ、議論による対立で『孤独な散歩者の夢想』で描かれるような孤独な晩年を送ることがありえようか。そこにおいて、ルソーの著作は他の作者よりも優れ、人を読む気にさせるのではないかと考える。自分の人生の各所で読むことで彼が感じた情熱を忘れないようにしつつ、彼の思想の深淵に触れられたらと考えている。