長期目標に対する短期目標設定および日々の努力の必要性

考える、あるいは学ぶということ

 

一つ、思い返してみて、衝撃的に後悔することがある。

それはモンゴル論文のデータセット打ち込みに関することである。私を含め、ほとんど全てのゼミ生は文句をいいながら、エクセルにデータ打ち込みをしていた。しかし、そこで何も考えずに打ち込みを行えば、そこから学ぶことは少ない。(勿論、論文のデータを見ながら、頭の中で仮説の検証などを行えば話は別だが)考えてみれば、あそこでなぜ“エクセル能力”を高めようと思わなかったのだろうか。多くの仕事では未だエクセルが使用されるし、あそこで意図的にエクセルのコマンドなどを覚えれば、あの作業も楽しく、更には学びの深いものになったに違いない。そういった意味で、ライフネット生命の岩瀬さんのもとで名刺入力させられた学生を批判した意図は理解可能である。もし仮に頭を使う仕事がしたく、それで社会に貢献、あるいは地位を向上させたければ、普段の行動により意識的に「考える」ことをしていった方が良い。そういった細部が最終的に大きな差を生むことはまず間違いない。

 

 

長期的目標設定に対する短期的目標設定、および日々の努力の重要性

 

おおよそ、多くの成功や夢の達成に必要なのは以上の基本的なプロセスの繰り返しであると実感する。

中高時代は長期的な目標設定に欠けていたように思う。

大学時代は目標設定ばかり追うあまり、努力に欠けていた。

しかもこのプロセスは双方的なこともツボである。というのは常に目標→努力という一方向ではなく、努力する中で様々な学びを得て、長期・短期的な目標を修正するということを含むのである。

 

自分の生き方と他人の生き方

 

人それぞれの生き方は、それぞれが決めるべきことであり、それによって、人を貶したり、嫌いになったりする必要はない。自分の人生のあり方に沿わないようであれば、そっと門戸を閉じればいいだけの話なのだ。

 

その上で自分の生き方はどのようなものなのか。

 

達成目標と過程目標

 

以上は私が勝手に名付けたものである。達成目標は、どんな自分になりたいか。過程目標は、どのようなことをしていたいかを表す。例えば、達成目標は大統領になりたい、ノーベル賞が取りたいなどで、過程目標はパソコンに向き合うよりも、戦略立て、交渉をしたいなど、具体的な時間の使い方とイメージすれば分かりやすいと思う。一般的に目標と言えば、達成目標を指すことが多いと思われるが、過程目標も同時に視野に入れることは有用である。おそらく相当ストイックな人間以外は、達成すべき状態・目標に向けて、自分がやりたくないことをやりつづけられるほど強くはない。よって、過程目標を立て、それと達成目標をつなげる導線を引くような作業が必要だと思う。

 

  • パブリックとプライベートを行き来できるような職場

インパクトが大きい仕事

  • 頭を盛大に使える仕事