イスラームに見る宗教的権威者と民衆

 

 近頃、「イスラーム国」の残虐な行為に関するニュースが立て続けに流れてくる。9.11世界貿易センタービルテロに始まり、アメリカとタリバンのアフガニスタンにおける絶え間なき抗争、ガザ地区問題、アラブの春、そして最近のイスラーム国(ISIS)の抗争など、“イスラーム国家”の領域においては常に大きな争いが起きている。以上の現状を見て、私はイスラームに対し自身の思考・価値体系と混じり合えない“異世界”であるという認識を長らく持っていた。しかし昨年初めてトルコに訪問し、人と街と触れ合う中で、異質性と同時に私たちと地続きで深い同質性を持った社会あるいは人間であるという印象を抱いた。また高等教育において学んだ知識より、私は初期イスラームカリフは宗教的権力を持たない存在であったと知っていた。しかし現状、多様性に富んだイスラーム諸国家を見ると、独裁政治・王権政治を背景に実質的には国の王や国家首脳が宗教的権威を握っているといってよい現状がある。イスラームにおいて宗教的権力も兼ね備えた政治指導者と民衆の理想的な関係はいかなるものであり、どのような変遷を辿って現在の形態に行き着き、現在でも理想への回帰は可能なのか。また政治制度という面において、各国が孕む問題点、欧米型の民主主義との親和性について考察を加えたい。

 まずイスラーム社会が理想とする宗教・政治制度はなにか。それを考えるにはまずイスラームの性質を考えねばならない。イスラームの重要な性質の一つとして、“神の国”と“人間の国”を隔絶しない、聖俗の区別をしない点がある。キリスト教においては塀に囲まれた“教会”の聖性が認められたが、イスラームにおいては日常生活・政治、法律全てにイスラームの教えが浸透するべきだと考えられている。そして、イスラームの教えとはつまるところ、テキストで書かれた『コーラン』『シャーリア』の解釈であり、宗教的権威者は『コーラン』の解釈権を保有する聖性を持たない一介の人間に過ぎない。以上をふまえた上で、議論を進める。イスラームが理想とする宗教・政治制度は(特に多数派のスンナ派にとっては)イスラーム法の下に統治された領域としての「ダール・アル=イスラーム」、ムハンマド死後の正統カリフ時代における「カリフ制国家」、そして全世界的なムスリムの共同体である「ウンマ」の3つの概念の一致において達成される。つまり単一のカリフによる、イスラーム法による統治、そしてムスリムとカフィールの厳密な区別が重要な要素であった。しかし、現在は3者の一致状態からはほど遠い状態である。

 前述の統一が崩れた経緯を軽くまとめることにする。ムハンマドの死後、いわゆる正統カリフ時代が訪れた。この時のカリフは宗教的な権威を持つ存在ではなく、ムスリム達の政治的指導者としての意味合いが強く、『コーラン』の解釈による思想的差異も生じていなかった。しかしイスラームが他地域に勢力を拡大するにつれて、様々な『コーラン』解釈が生まれた。そのような『コーラン』解釈の多様化はムスリムの連帯を阻むものであるとして、共同体秩序維持に責任ある宗教的指導者、“ウラマー“が誕生する。その後、ウラマーとカリフとの宗教的決定権に関する争いがおこったものの、政治的権力を握るスルタン即位によるカリフの弱体化に伴って、ウラマーが勝利し、カリフは単なる宗教的象徴に陥る。18世紀、オスマン帝国の元でスルタン=カリフ制が導入され、一人の人間に権力が集中する体制が再生した。しかしイスラーム地域が実質的にヨーロッパに植民地として征服される中で、かつてオスマン帝国の下で一定の統一を保っていたイスラーム地域の「ダール・アル=イスラーム」は分断され(“国家”としての分断)、続いてカリフ制も廃止された。そしてムスリムとカフィールが同一の“民衆”として統治され、移動の自由が奪われたことで世界レベルの共同体としての“ウンマ”も崩壊せざるを得なかった。その後、イスラーム各国はヨーロッパからの独立を果たすのだが、その際の政治制度はほとんどが実質的な独裁制度を採り、現在にいたる。つまり現在の政治制度はイスラームの教えとの整合性を考える「イスラム学」の視点から考えると、正当性あるいは整合性に欠く状態だと言わざるを得ない。

 しかし、現在様々な国家に分断されて動いている、この世界において、単一のカリフ制を設けて、再び「ダール・アル=イスラーム」「カリフ制国家」「ウンマ」の再統一を目指すことは現実的ではない。各国の独立から50年近くたった今、文化や経済体制があまりにも不揃いで発展してしまっているからである。しかし、“ウンマ”としてイスラーム各国間の移動を自由化するなど、イスラームが本来目指していた方向性を少しでも志向する態度はイスラーム学の視点から非常に重要である。

 続いて、現在のイスラーム社会の宗教的権威者=政治的指導者の統治制度から引き起こされた諸問題について考察する。特に西欧型の民主主義との関係性の枠組みの中で議論を進める。注意すべきことはイスラーム国家といえど、その形態は様々であり、一口に語ることはできない点にある。ここでは以下の3つの体制に対象を絞り、その範囲内で議論をする。まず第一にアラブの春以前のエジプト、リビアのような独裁国家である。次にサウジアラビアにおいて導入されており、親欧米的な王制国家である。この体制の多くがクーデターによって形成された。そして最後にトルコのような西欧的民主主義、政教分離を下地にする国家である。

 2011年初頭から中東・北アフリカを中心に拡大した民主化運動としてのアラブの春。エジプトにおいては長年政治を支配し続けたムバラク政権が崩壊し、ムスリム同胞団のモルシ政権が樹立した。しかし、その後は反モルシ運動が各地で勃興し、最終的には軍のクーデターが起こった。アラブの春が起こった国々を一括りにすることはできないが、エジプト同様、国民の力で獲得したはずの自由を多くの国々が維持しきれなかった。その原因はどこにあるのか。その主因はムスリムの多くが西洋の民主主義の根本に潜んでいる人文主義的思想概念を持っていないからではないか。独裁政権の下では個人の自由、機会の平等を唄う西洋思想は弊害と考えられ、教育の中に盛り込まれない。そのような基礎的な概念なしに、西洋的民主主義が突然もたらされたのであるから、彼らの中に未知の“民主主義”を導入することで、自分たち“イスラームのもつ重要なもの“が失われるのではないか、という漠然とした恐怖感が混乱を生み出している側面があると考えられる。それは王制国家においても同様である。王制国家の下、彼らに都合の悪い情報は遮断されて伝えられることが多いと思われる。そして以上2つにおける問題は、トルコのヒズメト運動の継続などによる混乱によるものと本質は同じであると考える。ギュレンを支持するヒズメト運動が政党活動に訴えないが故に、同じ土俵の上で、現実可能性を考慮した対話・議論が行えていないのではないか。それが故に投票・政権運営を難しくさせている側面があるのではないか。つまり一般的にキリスト教世界という意味での西洋がイスラームを理解しようとしていないと言われるが、イスラームがそもそも民主主義を理解しようとしていない、あるいは理解しづらい環境を制度が作り出しているのではないか、と考える。

 そもそも統治体制として、西洋的民主主義はイスラームになじまないものなのだろうか。おそらくそうではない。むしろ過去においては、思想の自由などの合理主義を携えた思想家が多く存在したからである。ただ彼らはアッバース朝以後、政治的弊害から異教徒(カーフィル)扱いされ、今日まで抑圧されてきたのである。イスラームが西洋的な民主主義、そしてそれに連なる人文主義的思想を受け入れることは過去自分たちが抹殺してきた諸哲学者たちを認めることになってしまう。それは現在の政治的指導者にとって、革命を起こす誘因する点で受け入れがたいのである。自由を求める民衆と、抑圧する指導者。両者の対立は決定的であり、指導者は人定法を施行する背教者としてジハードを起こされてもおかしくはなかった。それに対して、都合の良いはけ口を与えたのが(時間が前後するが)オサマ・ビン=ラーディンのアメリカとの戦い、防衛ジハード論だったという訳である。9.11を経て、アメリカとイスラームの対立は激化したが、それでも本質的な指導者と民衆の亀裂はうまらず、アラブの春が起こったと捉えることができるだろう。

 指導者と民衆の亀裂は現在も続いているが、今後如何に革命を起こしたとしても、民主主義の根幹を民衆が理解していなければ、政治に対する絶望は深まる一方だろう。しかし、イスラームには民主主義を受け入れる素地はあると考える。それをもう一度現代の文脈で捉えなおし、広く浸透させることで健全な民主制導入が達成されるのではないか、ということである。

 最後になるが、そもそも「イスラームに民主主義を押し付ける正当性」はどこにあるのか、西洋の人文主義的思想が示す一般道徳はどれほど一般性を持ちうるのかという議論はここでは棚上げされている。イスラームも含む多くの国が西洋的価値観から形成された国連憲章を批准しているが、かつての小国も力を持ち始めた21世紀においては、これらの一般的倫理は再度顧みられる必要があるのかもしれない。現在自分たちが生きている西洋的民主主義と日本的道徳の立場から発言せざるをえないことを理解しつつ、前述のような疑問を抱き、それに対して積極的に対話と議論を継続しなければ、本レポートのようなイスラーム国家への意見は無意味であることを理解する必要があるだろう。

 

 

 

<参考資料>

『イスラーム文化 その根柢にあるもの』(井筒俊彦著)

『イスラームと民主主義 近代性への怖れ』(ファーティマ・メルニーシー著)

『イスラーム世界の挫折と再生 「アラブの春」後を読み解く』(内藤正典編)

『新装版 イスラム:思想と歴史』(中村 廣治郎著)

『イスラームに何がおきているか』(小林 秦編)