『不平等国家 中国-自己否定した社会主義のゆくえ-』(園田 茂人著)

『不平等国家 中国-自己否定した社会主義のゆくえ-』(園田 茂人著)

ブリーフィング

サマープログラム参加予定の園田教授の中公新書。タイトルにあるように社会主義を掲げている中国、その中に潜む様々な不平等を捉え、今の中国の実情に迫っている。特徴としては、ほぼ全てのデータが園田先生を中心としたプロジェクトの元、観測されたものであるということであろう。
本書の内容を詳しく見ていくと、中国の不平等を様々な視点・観点、具体的には「学歴」「都市と農村」「ジェンダー」を通して、観測し、その後経済成長を伴って顕れた「中間層」がもたらす影響を議論し、今後の中国の姿を展望している。



興味深い点・議論点


・園田先生に直接伺った話であるが、先生が(様々な批判に晒されそうな)現地人への直接の質問調査にこだわるのは、一般にマクロで語られがちな国際関係学・社会学をミクロの視点より観察し、マクロ的に語られている物事が本当に起こりうるのかを観察する、従来の学問への挑戦であるとおっしゃっていた。在る国家の人々の意識こそが最終的な国家のあり方を定めるのであり、それは金融政策などによって、エリート的に導かれるものではないといった思想が背景にあるように思われる。

・多くのデータにおいて、自分の今の立場を肯定的に捉える傾向がある。(例えば、農村からの流入移民としての外来人口は自分が都市に貢献しており、自分たちは都市に害は及ぼしていない。そして適切に保護されるべき存在であると語っているが、多くの都市民はそう思っていない。)これはある意味人間として当たり前のことである。データを採る際にはやはり誰に対して、どのような調査を行うべきか明確に考える必要があるだろう。最近、特に思うのだが、どうも「文系人間」は理系的な出来事に対して、無思考になりすぎると思う。例えば、統計や(数学が多用されるという意味で)金融、科学技術においては、専門家の知恵に頼りすぎるが故に、彼らが前提としている多くの事柄が分からなく、リスクの把握が難しくなっているように思う。俗にいう理系「リテラシー」を高める必要がある。(ただし、多くの人間がリテラシーを高められない理由には理系の多くの学問が積み重ね型であり、コストが高すぎることがあるだろう)

・「諸機関への不信感」を尋ねた調査における政府への不信感が(私の感覚と比して)低すぎるように思う。中国においては、政府の監視が非常に厳しいので、素直な解答が難しいのだろう。もう少し、マイルドな表現での質問をすれば、正確な値に近づくかもしれない。