”やりたいこと”をやれるのは”やるべきこと”をしっかりやった人間だけだということ
これは至って、シンプルな真実であると思う。
それはなぜか。
人が一人で出来ることはほとんど存在しないからである。
”やるべきこと”をやるなかで、信頼を得つつ、スキルを得て、”やりたいこと”をなし遂げていくことこそ、大勢の人によって構成されている組織の中で”やりたいこと”をやるために重要なことであると思う。
そして、”やるべきこと”をやったかどうかは、自分で判断するマターではない。
他人に評価されるべきことであるのだ。
その点を誤解してはならない。
また”やるべきこと”、”やりたいこと”で人々がしばしば困惑するのは、それが示す領域を意識していないからである。社会に対して”やりたいこと”、家族に対して”やりたいこと”、友達に対して”やりたいこと”など、そういったレイヤーが隠されていることに我々は気づかなくてはならない。
人間は大人になるにつれ、責任を持つレベルを徐徐に広げていく。子供のときは自分だけだったものが、家族になり、友達になり、会社になり、社会になる。そこに対して、無理にステップアップする必要もないと今は思っている。
日本的にいえば、”義理”みたいな言葉に還元できるのかもしれない。
今思えば、凄く恥ずかしいことに、ここに来るまでたくさんの不義理を働いてきたと思う。
帰った際にはしっかりと果たしたい。