一年時に所属していた団体の事件に関して、今思うこと。

一年時に所属していた団体の事件に関して、今思うこと。


一年時に所属していた団体で事件があった。それからすでに3年がたった。当時、真剣に団体活動をやっていた訳ではなかったが、その事件は自分にとっても衝撃的であった。しかし3年も経ると、必然的に記憶は薄れる。そして今後もどんどん薄れていくであろう。真に忘却してしまう日もくるかもしれない。であるから、今当時思っていたこと、そして今思うことを記す。

私自身がそのことを知ったのは高校の夏合宿に同伴していった帰りのバスであったと思う。携帯に飛び込んできた文字に、鼓動が高鳴ったのを覚えている。
そして、その後団体の集まりがあったものの、海外旅行がすぐに控えいたこともあって、参加できなかった。そして、帰国したら人が大幅に減っていた。そして、色々な話を聞いた。まず本件に関して話をするのは禁じられた。友達もメディアもSNSも含めて全てである。そうして団体としては沈黙を貫き、セキュリティを強化し、存続するということであった。

現段階で考えても、彼ら上層部の意思決定は間違ってはいないと思う。(例えば、大事にしたくないといったような)ご遺族の意見が最も尊重されるべきであろうし、OBの様々な助言を経てのことだろう。しかし、私は当時、このような組織は存在すべきではないと確かに思った。少なくとも、社会的責任を負わないことを選択するのであれば、社会に組織として存在するべきではないと思った。この気持ちはひどく純粋なものであると分かっている。理想的であると、今では深く理解している。しかし当時、このように思ったこと、そして、こう思う人間が存在しうることを大人になり、「健全な」判断を下せるようになっても忘れるべきではないと思う。

それはそうとして、私はその組織にもう一年残った。存在すべきでない組織に残った。それはおそらく、この組織が嘘をついてでも入れるであろう(実際、新歓において、私が所属する支部が事件を起こしたことは語られなかったし、話すのを禁じられていた)新一年生をできるだけ別の方向に向けたいと思ったからである。他にもやりたいことはあった。しかし、それだけは自分が負う使命であると思った。

今ではその組織は平常運転しているだろう。人が変われば、その罪や意識は薄れる。
第二次世界大戦を経た国家の罪と同じである。

人は容易くものを忘れる。たとえ、それが自分にとって重要な一ページであったとしても。だから私は気持ちをここに記す。