企業における戦略的なダイバーシティ論

ここ10年ほど、”ダイバーシティ”というコトバが行き交っている。

意味としては「多様性」が一番近いだろう。

 

まず会社という組織におけるダイバーシティの利点・欠点を挙げて見ると、

利点)

・複数の価値観からの意見・による改善・イノベーション促進

欠点)

・言語等の違いによる、コミュニケーションの齟齬、効率の低下

となる。

 

最近のシーンでは、先進国の人的資本、物的資本の定常状態入りにより、利点が欠点を上回るほどの価値を帯びてきたということであろう。

 

しかし、ダイバーシティというものは「異なる幅が大きいほどすばらしい」というほど、単純なものではない。

ダイバーシティ流行の端緒となったGoogleやAppleのようなIT企業に、識字できない人間はできないだろうし、いわゆるエリート階層以外の人を見つけるのは難しいだろう。

企業の本質としての「企業価値の最大化」あるいは「社会的価値の最大創出」と言った目標に達成すべく、欠点よりも利点の方が大きくなる場合にのみ、企業はダイバーシティーを促進する。

 

つまり、企業という文脈でのダイバーシティは、いわゆる人種間の格差解消を目的としたアファーマティブアクションのような人種の融和政策とは完全に異なり、あくまで企業の最終目的である利益に対しての戦略の一つとして扱われるのだろう。

故に政府が人種間格差解消を目的とした企業へのダイバーシティ命令を出した際、企業の業績が下がることは容易に想像できることである。

特にそれは、元々教育レベルが低い人を受け入れなくてはならなくなった際に起こりうる。例えば、日本における女性など、教育レベルに関係なく、「女性であるから」差別の対象になっていた例においてはダイバーシティを拡張し、業績をつり上げる可能性は十分あるが、アメリカの黒人のように教育レベルが一般的に明らかに低い人々を社内に入れることないなった場合、ダイバーシティーの上昇以上に人材の質の低下により業績は悪化する可能性が高いと言える。