僕らのキャリアや仕事に結局正解はないということ

最近、百聞は一見にしかずというコトバを強く実感する。
今、住んでいる町、Davisは僕のカリフォルニアのイメージと少し違っている。
僕のイメージでは広大な庭付きプールがちらばってあり、ヤシの木が広い道路の側面に生い茂っている感じだったけど、Davisはわりかし狭いエリアに家が集中し、ヤシの木もそれほど見かけない。そして、そこでの生活は危ないイメージのある「アメリカ」とはかけ離れたものだ。
こんな感じで、人のイメージや、教科書の知識は外れることが良くある。
これはキャリアとか、仕事とか、正解がないことにつながっている。
というのも、僕らの時間は有限である。
もし僕らの時間が無限なら、僕らはきっと全てを「見る」ことができる。
しかし、僕らは分からない情報を聞き、解釈し、謝っている可能性がある情報の中で意志決定をせざるをえない。

だから、結局のところ、自分の人生は自分で選ばなければないないという、陳腐な結論に陥る。しかし、それはきっとほんとで、各自のストーリーに従って生きるべきなのかもしれない。