一ヶ月(はりつけ忘れ分)

 

いつの間にか、留学から一ヶ月が経ってしまったなという印象を持っている。
一ヶ月ということはすでに約7分の1が終わってしまったということ。
時というものは、僕らという主体を置きざりにして、先に進んでしまうことが良くある。
そんな感じだ。
自分で達成したいこと、レベルが確かにそこにあって。でもそこには届かなくって。
焦って、時間だけが過ぎていく。
最近感じるのは、僕は結局器用ではないのだろうな、ということ。
同時に二兎追うことは今の僕には難しい。
しかし、考えてみれば、まだガッツリと授業を受け始めてから2週間しか立っていない。
1週間目は家探し。2週間目は環境慣れ。3週間目は授業慣れ。4週間目の今週初めて授業に集中して望めた。
このように考えると、まだまだ焦る必要はないなと思える。
 
最近、自分の時間が出来てきて、果たして自分がどういう生き方をしたいのかを考えることが多くなった。
それは子持ちで学生やっているヒロさんの話を聞いたのも大きいかもしれない。
またGacktがやっているラジオを聞いたからかもしれない。
そして、少なくとも、僕は僕が男である以上は、男としての生き方に憧れるのだなと思っている。
それはつまり「何かを背負い、それに命を燃やす」ということである。「死ぬ気で生きてみる」ということである。
残念ながら、僕らの人生は一回きりのゲームである。復活はまずないと思っていた方がいい。
だからこそ、その「質」に僕らの人生の意味はあると思う。
限られているからこそ、僕らは全力で生きようとする。
もし無限の人生を生きられるなら、誰も努力などしないのだ。
そう思えば、何かを背負い、それを守りながら、前を向き攻め続けるような人生の方が面白い。
それは家族でも、社会でもいい。
しかし、人間の精神は儚くも弱い。
もし仮に社会を背負っているとしても、その際に自分にかかる重量は決して重い訳ではない。
社会は皆で支えているからだ。

 

しかし、家族は違う。家族を背負った男の目は、思考は違うなとつくづく思う。