「意識高い系」とは何か

「意識高い系」とは何か
 
近頃、「意識高い系」という言葉を良く耳にする。
そして、それは往々にして否定的なニュアンスを帯びている。
「意識高い系」とは何か、そして彼らはなぜ好意的ではない扱いを受けるのか分析してみる。     
 
まず「意識高い系」を規定したい。
まず「意識が高い」とは何に対し、どのような意識が高いのだろうか。
筆者のイメージをなぞらえるならば、「社会を変えること」あるいは「自分のキャリア向上」に対し、積極的な
気概を持っているということである。
しかし、一般に「社会を変えること」に本気なはずの、大統領や首相、大企業の社長のことを「意識が高い系」とは呼ばない。
彼らは「意識が高い」人間だろうが、「意識が高い系」ではない。
一方、インターンや国際交流団体に参加している学生の多くは「意識が高い系」と呼ばれる。
 
この違いは明らかに理想と実力、あるいは夢と達成可能性、願望と努力のギャップにある。
多少の運はあったにせよ、俗にいう「意識が高い」人間には自分の理想・夢・願望と、それに対する努力、そして実力、
夢への到達可能性のギャップがほとんどないと言える。
一方、「意識が高い系」の学生はそのギャップがあまりにも大きいため、反感を買うのであろう。
 
理想と実力という二軸で物事を考えると、考えられるのは4パターンの人間像である。
①理想も実力も高い人(=「意識が高い人」)
②理想は高くも、実力がない人(=「意識が高い系」)
③理想は低くも、実力がある人(=「謙虚系」?)
④理想も低く、実力もない人(=「無気力系」/「マイペース系」?)
 
こうして見ると、②に対して、①③④がそれぞれ異なる反応を示すことがわかる。
①から見れば、②は軽視の対象である。③からは軽蔑の対象、④からは嫉妬の対象になる。
なぜ④から見れ、嫉妬の対象になるかだが、④の人間はさらに二つに分けられる気がする。
それは自分の道を行くマイペース系と社会のレールには一応乗る、無気力系である。
無気力系は社会のレールに乗るので、大言壮語を吐いて、就活などを有利にすすめる「意識高い系」に
対し、嫉妬を覚えるのである。
 
以上、まだまだ深堀は出来そうだが、俗にいう「意識高い系」について思ったことをまとめてみた。