ロックに生きる
ナイアガラの滝からの帰り道で今思うのは、”自分の中に、「ロックに生きる」という憧れが常に存在した”ということ。
流行る前から、スティーブジョブズの伝記は好きだったし、教師など社会の枠組みに縛られる存在が嫌いだった。
それは東大に入り、「体制側」の努力を知り、そこに存在するトレードオフを知り、才能をしり、自分を曲げ、社会に順応しようとする過程の中で曲がっていった。
おそらく私は「体制側」のトップになろうが、満足できない。
「革命側」「ロックに生きる人たち」の側にもう少しいたいのだ。
当然、「ロックに生きる」というのは職種だけに縛られるものではない。
あくまで「生きる」のである。
しかし、「ロックに行きづらい」職種があるのも確かであると思う。
僕なりに「ロックで生きること」をまとめてみると
・全力で生きる
・既存の社会に異を唱える(自分の意見に生きる)
のような要素に分解できる。
これをキモにこれからも生きたい。