『リーマンショック コンフィデンシャル(上)』(加賀山卓朗)

 

『リーマンショック コンフィデンシャル(上)』(加賀山卓朗)
 
感想
 
本書は2009年のリーマンショックの前後に果たして現場では何が起きていたのかを
まとめた経済小説。新聞記事、書籍、関係者へのヒアリングを通して得た膨大な資料を元にストーリーを構築しており、非常にリアリスティックな良書と言えるだろう。
 
ブリーフィングには適さないため、気になった点などを感想を交えながら記述していく。
 
・アメリカの連邦政府
考えてみると、経済政策におけるアメリカ連邦政府のあり方をほとんど知らない。
政治問題を考えるとき、A国の何省が力を持っているのか、そもそも通貨発行権はどこが持っているのかなどは非常に重要である。それによって政治的、戦略的なアプローチは大きく異なる。
 
 
・アメリカの世論の特殊性
アメリカは”社会主義的”という言葉を最も嫌う世論の特性を持っているように感じられた。今回、そのように揶揄されたのはフレディやファニーなどのGSE破綻に対して、連邦政府が資金注入をしたことに関してだった。「血税を一部の特権階級のために使用した」ということである。一面として、それは正しいとは言え、
 
・Too Big To Failの罪
現在、各金融機関は他会社の証券保持などを通して、複雑に結びついており、一行の破綻が莫大なシステミック・リスク(ある所で発生した決済不能が次々と広がって世の中に混乱を及ぼす可能性)を持っている。すると、国としては破綻時に保護せざるを得ない。しかし、ここでモラルハザードが発生する。つまり、銀行は”いざとなれば守ってもらえる”ということを担保に自分で対応できる以上のリスクを取る行動に出がちになるのだ。これに対してはすでに「バーゼルⅢ(要調べ)」や「リビングウィル(生前遺言)」等の対策は打たれているものの今後の金融規制に注目しなければならないように感じられた(今更感)
 
・上にいけば、行くほど”人”
人間の意思決定は感情に大きく作用されるが、組織、それも大企業のような社会的責任と落ち着きを持った組織であれば合理的な意思決定が行えるという言説を法人営業の書で見かけたことがある。しかし、これは一部正しい、一方で真理ではないように思う。組織はシステムで動くが、システムを作るのは人であり、会社のトップも人である。つまり、意思決定は必ずしも、合理的に行われず、感情的になり得るのである。今回、当時のリーマンCEOのファルドの態度に不遜を感じ、多くのCEO達が買収を離れた。しかし、根性強く交渉していれば、ひょっとすると自社に利益になる買収が行えていたかもしれない。会社は結局のところ、(良くも悪くも)人の集まりでしかない。