日々の過ごし方において、生き方を見せる

僕はなぜ留学に来たのだろうか。

それも通常よりも一年遅れて。

正直にいえば、「大人」になるのが怖かったんだと思う。

子供のときから漠然と抱いていた「大人」のイメージ。そうなるのが怖かった。

 

それはあの時点で自分がどんな大人になるのかが、漠然と見えてしまったからだと思う。

だぼだぼな背広を着て、疲れ果てて、また通勤していく大人のイメージ。

それもまた軽蔑の目を向けられるべきものではない。

彼らが果たしている家庭や仕事への責任は立派なものである。

しかし、やはり僕はロックスターのような大人になりたい。

 

広大な想像力によって、社会からの責任を意識し、それに苦悩しつつも、それを見せず、子供のように無邪気に振る舞い、今を全力で楽しみ生きるような人間である。

我々は今の過ごし方において、子供や社会に対して、何よりも自分に対して、自分の生き様を見せつける。

その意味で我々は常、いかなる時もプレッシャーに晒されている。

それを背負って尚、軽々と生きてみせる力こそ最も重要なものであると考える。

我々が生の意味を問うのではなく、生が我々にその意味を問いてくる。