リスクと不確実性のキャリア論

内容としてはタイトルにある通り、「リスク」と「不確実性」を取り違えてキャリアを考えるべきではないということである。

 
ここで一般的な定義に乗っ取り、両者を説明すると「リスク」とは「目に見える」あるいは「確率計算が可能」な事象のばらつきであり、対照的に「不確実性」とは「目に見えない」そして「確率計算が不可能」な事象である。
 
私はキャリアを考える際、「リスク」をヘッジし、「不確実性」を許容するキャリア選択をすべきだと考える。ヘッジすべき「リスク」とは例えば、今、経済学部に所属する自分が「なるべく影響の大きい仕事をする」といった選択に晒された際に、芸術関連の仕事に転向するようなことが挙げられる。つまり、今の自分がこれから絵画を勉強し、実際に絵描きになったところで「なるべく影響が大きい仕事ができる」確率は圧倒的に低いと思われる。こういった選択は(キャリアのプライオリティが圧倒的に自分のしたいことをするというものに比重が置かれていない限り)、多大な「リスク」を孕んでおり、ヘッジすべきだろう。
しかし、不確実性はどうだろうか。それは例えば、また「影響力が大きい仕事をする」という目標に直面した際に、「商社」に行くのか「銀行」に行くのか、「ベンチャー企業」に行くのかで、いかに、それぞれどの程度のレベルで達成されるかどうかは不可視である。また、いずれにせよ、自分が認識した変数以外にも自分が意外と重視していた変数は生まれうるものではないか。
よって、私達は「リスク」は確実にヘッジするけれど、「不確実性」を過剰に評価する必要はない。未来はだれにもわからないのだ。
 
またマキャベリの言うように人生におけるキャリアは半分が「運命」、もう半分は「力量」で構成されている。(マキャベリは国家の文脈で使用したが、それは人生にも援用可能であると考える。)ここで我々は「運命」をのろうべきではない。むしろ、マキャベリが述べたように「力量」を持って、「運命」を制することを目指すべきなのだ。
つまり未来は自分でたぐりよせられるということである。
 
まとめをするのであれば、将来の「リスク」を見据え、ヘッジし、「不確実性」を恐れずに自分が本当に正しいという直感に従い、選択を行う。その上で迫り来る「運命」に対し、自分の「力量」でもって立ち向かい、それを我が者にする。そのようなキャリア観が必要に思う。
(飲み会の後に書いているため、文章が多少支離滅裂。後で直そう。)